30. オスマン帝国の君主
マフムト2世
- 在位
- 1808 – 1839
- 生年
- 1785
- 没年
- 1839
イェニチェリ軍団を廃止し、中央行政と軍を建て直した。タンジマートの素地は彼の治世に整えられた。
マフムト2世は1785年7月20日、イスタンブールで生まれた。父はアブデュルハミト1世、母はナクシディル・ヴァリデ・スルタンである。背は中ぐらい、肩幅は広く、髭は白く、上品で好ましい顔立ちであった。他のオスマン君主と同じく堅固な教育を受けた。その学びには、セリム3世が自らの治世中に自ら心を配っていた。
勇敢で、慎重で、忍耐強く、意志の固い性格のマフムト2世は、アレムダル・ムスタファの一件ののち、1808年7月28日に即位したとき二十三歳であった。聡明で学識ある人であったマフムト2世は、ヨーロッパの刷新の動きを受け入れていた。司法の事どもに然るべき重みを与え、新しい法と規則を作らせ、そのために「アドリー(公正なる者)」の称号を与えられた。
詩と文学と学問を愛し、民の間を歩いてその悩みに耳を傾けることを必要と考えたマフムト2世は、オスマン国家を社会の面でも文明の面でも進んだ国にしようと努めた。罹患した結核から回復できず、1839年7月1日、休息のため訪れていた妹エスマ・スルタンのチャムルジャの別邸で、五十四歳で没した。盛大な葬列とともに、民の涙のうちにディヴァン・ヨルの廟に葬られた。
- 男子:アブデュルメジト、アブデュルアズィズ、バヤジット、アブデュルハミト、スレイマン、メフメト、ムラト、ニザメッディン、アブドゥッラー、オスマン
- 女子:エミネ・スルタン、ハミデ・スルタン、ハイリエ・スルタン、シャー・スルタン、サリハ・スルタン、アイシェ・スルタン、アティケ・スルタン、ファトマ・スルタン、ミュニレ・スルタン、ミフリマー・スルタン、アディレ・スルタン
出典:Osmanlı Tarihi Interaktif CD-ROM (Türk Tarih Kurumu Yayınları XXXI. Dizi-Sa.2)