36. オスマン帝国の君主
メフメト6世
ヴァフデッティン
- 在位
- 1918 – 1922
- 生年
- 1861
- 没年
- 1926
最後のオスマン君主。スルタン制の廃止ののち国を離れた。
メフメト・ヴァフデッティンは三十六代目にして最後のオスマン君主である。父はアブデュルメジト、母はギュリスト・カドゥン・エフェンディである。1861年2月2日、イスタンブールで生まれた。父アブデュルメジトはヴァフデッティンが生まれたその年に、母ギュリスト・カドゥン・エフェンディは彼がまだ幼いうちに没した。子どもと言える年齢で父も母も失ったヴァフデッティンは、父アブデュルメジトの妃のひとりシャイェステ・カドゥンによって育てられた。
アブデュルアズィズの治世にはまだ子どもであったため、自由に育った。兄アブデュルハミト2世は自らが君主となる前から彼の教育と学びに深く関わり、自らの治世でもその態度を変えず、つねに彼を重んじ庇護した。そのため兄の治世の年月を、ヴァフデッティンは安らかに過ごした。
メフメト・ヴァフデッティンは多くを読み、読んだことをよく解した。とりわけイスラーム法学の書に関心を寄せた。筆致も正書法も整っていた。聡明な人で、考えを紙に移すことに苦労しなかった。たいそう礼儀正しい人であったメフメト・ヴァフデッティンは、ウィーン旅行の折、随行者にも外国の人々にもその物腰を称賛された。言葉少なく、聞くことを好み、話す相手には全神経を傾けた。
メフメト・レシャトが君主となったとき、皇太子は年長のアブデュルアズィズの子ユスフ・イッゼッティンであった。ユスフ・イッゼッティンの死により、メフメト・ヴァフデッティンが皇太子とされた。
皇太子であった年月に第一次世界大戦が始まった。戦のさなか、オスマン国家の皇太子としてドイツへ公式訪問を行った。この旅にはムスタファ・ケマルも随行していた。メフメト・レシャトの死により、メフメト6世ヴァフデッティンの名で君主となった。
出典:Osmanlı Tarihi Interaktif CD-ROM (Türk Tarih Kurumu Yayınları XXXI. Dizi-Sa.2)