15. オスマン帝国の君主
ムスタファ1世
- 在位
- 1617 – 1618 · 1622 – 1623
- 生年
- 1592
- 没年
- 1639
二度擁立され、二度廃位された。いずれの治世も短く、宮廷内の争いに終始した。
ムスタファ1世は1592年、マニサで生まれた。父はメフメト3世、母はハンダン・スルタンである。顔立ちは美しく、髭は薄く、顔色は黄ばみ、目は大きい君主であった。二度位に就いた。神経質な質であった。
兄アフメト1世の治世を通じ、ムスタファは十四年間、宮殿の一室に閉じ込められて過ごした。当時それは必要と見なされていた。さもなくば王子が国政に干渉し、君主を廃そうと動くことさえあり、国家の統一が危うくなるからである。それを避けるため、王子は「除かれる」か、一室に閉じ込められた。アフメト1世は即位に際して弟を殺させず、宮殿に幽閉した。この「鳥籠暮らし」の末、ムスタファ1世はオスマン家最年長の男子として位に就けられたが、まもなく不安定な言動が現れたため、ウラマー、軍、重臣の一致により廃された。ゲンチ・オスマンが廃され殺されたのち、ムスタファは再び即位したが、一年半後、心の均衡を欠くとして再び廃さねばならなかった。
ムスタファ1世を境に兄弟殺しは稀となり、王子たちは宮殿の鳥籠で即位の日を待つようになった。当然ながら王子の母である后たちの間に競争が生まれ、それぞれが宰相や諸派に頼って策謀により君主を替えようとした。
ムスタファ1世は信心深い人であった。施しを好み、宮殿の池に硬貨を投げ入れて侍女に拾わせるほどであった。宮殿での日々は礼拝と宗教書の読誦に費やした。二度目の即位を求められたとき、部屋でクルアーンを読んでいる、君主の位は望まぬと伝えた。
二度目の治世が始まって一年半後の1623年9月10日、ムスタファ1世はシェイヒュルイスラームのファトワーにより再び廃された。理由として「心の均衡が定かでない者はカリフたりえない」ことが挙げられた。廃位から十六年後の1639年1月20日、トプカプ宮殿で神経の病により没した。
出典:Osmanlı Tarihi Interaktif CD-ROM (Türk Tarih Kurumu Yayınları XXXI. Dizi-Sa.2)